駆け落ちの日 (記念日 1月3日)

駆け落ちの日
亡命日
1938年1月3日
亡命先
ソ連(樺太国境越え)
岡田嘉子
女優、1902〜1992年(享年90歳)
杉本良吉
新協劇団演出家、1939年銃殺
岡田の戦後
モスクワ放送局アナウンサー・舞台俳優
滝口新太郎
元日活俳優、岡田の2番目の夫

1938年1月3日、女優の岡田嘉子と新協劇団の演出家・杉本良吉は、樺太(現在のサハリン)の国境を越えてソ連へ亡命しました。当時、杉本は日本共産党員として当局の監視下に置かれており、二人が選んだのは日本を捨てて国境を越えるという決断でした。この出来事から、1月3日は「駆け落ちの日」と呼ばれるようになりました。

しかし、亡命後の運命は過酷なものでした。ソ連に入国した直後、二人はスパイ容疑でNKVD(ソ連国家保安人民委員部)に逮捕されます。岡田には禁錮10年と強制収容所送りの判決が下り、杉本は国家反逆罪として1939年に銃殺されました。当時のソ連はスターリンによる大粛清の時代であり、外国からの亡命者は特に警戒の対象とされていました。

岡田嘉子は、1902年(明治35年)広島生まれ。無声映画時代から活躍した日本映画草創期を代表する女優で、その美貌と演技力は「東洋のグレタ・ガルボ」とも称されました。収容所での服役を終えた後、彼女はモスクワ放送局(後のロシアの声)の日本語放送アナウンサーとして働き始めます。そこで出会ったのが、11歳年下の日本人同僚・滝口新太郎でした。滝口は戦前の日活で活躍した人気俳優であり、二人はモスクワで結婚。波乱に満ちた前半生を経て、岡田は安定した生活を手に入れました。

岡田は演劇への情熱を失わず、モスクワの演劇学校に通い、舞台俳優としても活動を続けました。1972年には日ソ合作映画に出演し、日本の観客の前に再び姿を現しています。1992年に90歳で死去するまで、彼女はソ連・ロシアで生涯を全うしました。亡命から半世紀以上を経ても、岡田嘉子の名は昭和の芸能史に深く刻まれています。

「駆け落ちの日」の由来は二人の亡命ですが、実際には杉本の政治的立場が主な動機とされており、単純な恋の逃避行とは異なります。二人のたどった運命は、対照的なものとなりました。

1月3日のカレンダー情報

六曜 先勝
吉日 神吉日、大明日
月齢 14.1(満月)

1月の二十四節気・雑節

  • 小寒(しょうかん) 1月5日(月)
  • 大寒(だいかん) 1月20日(火)
  • 冬の土用(どよう) 1月17日(土)