ハイチ独立記念日 (記念日 1月1日)

ハイチ独立記念日
独立宣言日
1804年1月1日
独立相手国
フランス(植民地名:サン=ドマング)
革命開始
1791年8月(ブワ・カイマンの儀式)
独立宣言地
ゴナイーヴ
仏の賠償要求額
1億5000万フラン
米国の承認年
1862年(独立から58年後)

1804年1月1日、カリブ海の島に新しい国家が誕生しました。その名はハイチ。世界史上初めて、奴隷の反乱によって樹立された黒人共和国です。

かつてこの地は「サン=ドマング」と呼ばれるフランスの植民地でした。18世紀末、砂糖とコーヒーの一大産地として莫大な富を生み出し、その労働を支えていたのは、アフリカから強制連行された数十万人の黒人奴隷たちでした。過酷な労働条件と苛烈な支配のもと、奴隷の死亡率は極めて高く、労働力を維持するために絶え間なく新たな奴隷が輸入され続けていました。

転機は1789年のフランス革命でした。「自由・平等・友愛」を掲げる革命思想は大西洋を渡り、植民地の人々にも伝わりました。1791年8月、夜の森の中で開かれた秘密集会「ブワ・カイマンの儀式」を合図に、奴隷たちが一斉蜂起しました。当初の指導者は元奴隷のトゥーサン=ルヴェルチュールで、かつての奴隷たちを率いてフランス軍と戦い続けました。フランス本国は1794年に奴隷制廃止を宣言しますが、ナポレオンが政権を握ると方針は一転し、奴隷制の復活を図る遠征軍が派遣されました。

トゥーサンは1802年に捕らえられ、フランスの獄中で翌年没しました。しかし反乱の炎は消えませんでした。後継指導者ジャン=ジャック・デサリーヌのもと、反乱勢力はフランス遠征軍を撃退し、ついに1804年1月1日、ゴナイーヴの地で独立宣言が読み上げられました。国名「ハイチ」は、先住民タイノ族の言葉で「山の多い土地」を意味します。

独立後のハイチが直面した現実もまた過酷なものでした。フランスはハイチに対し、独立承認の条件として旧農園主への「賠償金」として1億5000万フランという巨額の支払いを要求しました。この債務はハイチの国家財政を長年にわたって圧迫し、経済発展を阻みました。国際社会からの孤立も深刻で、アメリカ合衆国がハイチを正式に承認したのは独立から58年後の1862年のことでした。

それでも1月1日の独立宣言は、近代史における奴隷解放運動のひとつの到達点として記憶され続けています。当時、奴隷制が世界中で当然視されていた時代に、反乱によって自らの手で国家を建設したハイチの歴史は、植民地支配と奴隷制に抵抗したすべての人々の記念碑でもあります。

1月1日のカレンダー情報

六曜 大安
吉日 一粒万倍日、不成就日
月齢 12.1

1月の二十四節気・雑節

  • 小寒(しょうかん) 1月5日(月)
  • 大寒(だいかん) 1月20日(火)
  • 冬の土用(どよう) 1月17日(土)