モーツァルト忌 (記念日 12月5日)
- 命日
- 1791年12月5日(享年35歳)
- 死因
- 諸説あり・150以上の仮説が存在
- 未完の遺作
- レクイエム ニ短調 K.626
- 作品総数
- ケッヘル目録626番まで
- 補完者
- 弟子フランツ・クサーヴァー・ジュースマイアー
- 埋葬地
- ウィーン・聖マルクス墓地(正確な場所不明)
35歳という若さで没したモーツァルトの死因は、未だに確定していません。「リウマチ熱による腎不全」「連鎖球菌性咽頭炎の合併症」「水銀中毒」「毒殺」など150を超える説が提唱されており、没後230年以上を経た現在も研究者の間で議論が続いています。1791年12月5日早朝0時55分、ウィーンの自宅で息を引き取ったとき、彼が手がけていた『レクイエム』は未完のままでした。
モーツァルトが『レクイエム』の依頼を受けたのは、死の年である1791年の夏のことです。依頼主は謎めいた黒装束の使者で、その正体はフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵の代理人でした。伯爵は亡き妻のために曲を依頼し、自作として発表するつもりだったとされています。モーツァルトは病に倒れながらも作曲を続けましたが、第1曲のイントロイトゥスと第2曲のキリエのみを完成させた段階で力尽きました。残りは弟子のジュースマイアーが補完し、1792年に初演されています。
彼が遺した作品の数は驚異的です。6歳で最初の作品を書き、35年の生涯で交響曲41曲、ピアノ協奏曲27曲、オペラ22曲など、ケッヘル目録によれば626番まで番号が振られています。ザルツブルクで生まれ、幼少期から父レオポルトに連れられてヨーロッパ各地を演奏旅行し、各国の音楽様式を吸収した経験が、その多彩な作風の礎となっています。
死後の扱いも謎に包まれています。モーツァルトは「共同墓地」に埋葬されましたが、当時のウィーンでは中産階級の一般的な埋葬方法であり、貧困のためという通説は後世の創作に近いとされています。現在、ウィーンの聖マルクス墓地には記念碑がありますが、正確な埋葬場所は不明です。ウィーン中央墓地の記念碑には、世界中から多くの音楽ファンが訪れています。12月5日は「モーツァルト忌」として、クラシック音楽を愛する人々が彼の命日を偲ぶ日です。オーストリアのザルツブルクでは毎年「モーツァルト週間」が開催され、生家や洗礼を受けた大聖堂も一般公開されています。彼が書けなかった音符の余白を抱えたまま、未完の『レクイエム』は今もコンサートホールで演奏され続けています。230年を超えてなお、その問いは鳴り止みません。
12月5日の他の記念日
12月5日のカレンダー情報
12月の二十四節気・雑節
- 大雪(たいせつ) 12月7日(月)
- 冬至(とうじ) 12月22日(火)